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  • 執筆者の写真信徳寺

カレンダーのことば 6月 


4月よりご門徒の皆様にお配りしている直枉会カレンダーの


毎月のことばの解説や味わいをお参りの際に配布することにしました。




今月は「人間の居場所を奪う言葉は暴力である」です。


私たちの言葉というものは、私たちの感じる世界を切り取ったものです。

何もないところからそれぞれが感じたものを言語化して言葉になります。

それぞれの感性がベースにあるので、うまく言語化できないとうまく伝わりません。

では、居場所ってどういうことでしょうか。

以前、朝日新聞にこんな記事が載っていました。

それは現在タレントとしてまた海洋学者として活躍されている

さかなクンさんの書いた文章でした。

中学時代、吹奏楽部に所属していたさかなクンさんは

ある日、周りの人から無視されることになりました。

特にきっかけや何かいわれのあることでもなく突然だったそうです。

しかし、その状況を魚の世界と重ねて考えたそうです。

例えば、メジナは海の中では群れとして仲良く泳いでいるのですが、

水槽に入れた途端、1匹を仲間外れにして攻撃するそうです。

その1匹を避難させても別の1匹、次の1匹というように

攻撃される対象が移るのだそうです。

攻撃する対象を別の水槽に移しても一緒だそうです。

広い海なら仲良くとも狭い世界になるといじめが発生するということです。


当時、そのいじめの問題を解決することはできませんでした。

しかし同様に無視されていた友人とよく魚釣りに出かけたそうです。

学校から離れて、一緒に釣り糸を垂れているだけで、

その子の表情がホッとしていきました。

具体的に何か励ましたりしたわけでは無いですが、

隣にいるだけで何か安心したのかもしれません。

そのことから、広い世界というものを意識しましょうよという文章でした。


狭い世界に居ると他者の居場所を奪うことがあるのかもしれません。

それに対して、広い世界のなかにおのずと居場所というものが現れるのかもしれません。

そうすると狭い世界に閉じ込めてしまう言葉が居場所を奪う言葉であり、

暴力と言えるのでしょう。


狭い世界に閉じ込めてしまう言葉とはどういうことでしょう。

例えばそれぞれが抱えている思い出したく無い辛い経験の記憶を

思い起こさせるようなもの、

そこで自ら狭い世界に入り込まざるを得ないような言葉では無いでしょうか。

そしてその言葉はどの言葉がきっかけになるかわかりません。

それぞれが抱えている辛い経験はそれぞれにしかわかりません。

非常に言葉は難しいです。

言葉を使うこともためらうくらいです。

しかし生きていくにはそうも行きません。


ではどうすればいいのでしょうか。

それは言葉が時には暴力となることと知ることです。

知らないと全く対処できませんが知っていると少しは対処できます。

そしてもう一つ、広い世界に導く言葉があります。

それが南無阿弥陀仏です。

生き様死に様問わず全てのいのちを平等に仏にする、

すなわち広大無辺際、限界なく広くするぞという言葉が南無阿弥陀仏です。

そのとてつもなく広いお心に出遇う中に、

人間の居場所になる言葉があるとうかがえる今月のカレンダーのことばです。

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