信徳寺
カレンダーのことば 10月
如来さまは バチ・タタリから解放してくださる
阿弥陀如来はバチやタタリを与えません。ただただ救ってくださる存在です。生きとし生けるものをそのまま救うという阿弥陀如来という仏様の救済を、無条件の救いと先人方は表現してくださいました。生きとし生けるものを阿弥陀如来の世界、浄土に生まれたいと思わせ、お念仏称えるものに仕上げていくと願い、これをしたから救う、あれをしたから救わないというように条件はつけずただただ私たちにはたらきかけ続け、疑いなくその存在を受け入れるようにさせてくださいます。
ここで無条件といえども、厳しさがないわけではございません。親鸞聖人が抑止門(おくしもん)と示してくださったところです。生きとし生けるものを救う宣言の中に五逆(ごぎゃく)の罪を犯すものと謗法(ほうぼう)、すなわち仏法をそしるものを除くと示されている矛盾をどう捉えていくかで、この「除く」ということはこの内容を抑止せんがための仏様のお心だと受け止めます。この五逆は私たちに縁遠いものかと言えばそうではありません。五逆の中に、殺父・殺母というものがあります。この殺には心の中でというものも含まれます。例えば「いなくなればいいのに…」というものです。そう考えますと、私たちは五逆の罪を犯す可能性のあるものだということです。このことを抑え止めようとして、仏様は一見矛盾するような宣言をなされたのだと受け止めるのです。
以前、羽賀翔一さんという漫画家の方が敬老の日に御自身の祖父との思い出を漫画にされた「ケシゴムライフ」という漫画を投稿されていました。子どもの頃に羽賀さんは、よく祖父と遊んでいました。その中で祖父に「人生で必要なものは消しゴム」で「消しゴムの本当の役目は間違いを消すことじゃなくて、間違ったっていいんだよと鉛筆を安心させること」と教わった思い出を漫画にされていました。ペンを走らせる中に、間違えたり、枠をはみ出したりすることがあるかもしれませんが、消しゴムがあるからといってわざと間違えることはありません。先程の抑止のことばはこの消しゴムのようなものではないでしょうか。私たちはきっかけがあれば、いかなる行動もとりかねない存在です。その行動の中に五逆や謗法という大変なことがあるのですが、阿弥陀如来は「間違っても大丈夫だよ、必ず救うから」とおっしゃってくださっているわけです。そこで「わかりました。何やってもいいんですね。」とならず、阿弥陀如来のお心の中に、五逆や謗法の罪の重さを知らされながら、安心して生きることのできるかたじけなさに、生きざまを慎んでいくあり方がこの無条件の救いということにある厳しいおさとしと伺います。
阿弥陀如来はバチやタタリから解放してくださるのですが、そのお心の中に開き直るような生き方をできるだけ慎まさせていただく気持ちになっていく、そんな大きなお心を感じることでした。
