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  • 執筆者の写真信徳寺

カレンダーのことば 2021年12月

如来さまは世間を虚仮(そらごと)と目覚めしめる


 如来とは真如すなわち真実の世界より我々を救うべく来生した存在です。真実とはどういうことでしょうか。例えば「無分別智(むふんべっち)」ということばで表現される世界です。これは物事を分別(ふんべつ)すなわち線引きをして理解していくような見方でなく、全てを超越して一つと見ていくようなあり方です。この超越して一つとなるのが真実の世界、真如とされます。このカレンダーのことばは、その真実の世界から来生した如来が、我々に世間の諸々が虚仮(そらごと)すなわち本当ではないということを告げてくださるということです。

 世間のことが本当ではないということは一体どういうことでしょうか。それは物差しが人間中心、自分中心で仕上がっているということです。物差しは一定でないと困ります。例えば、家を建てる際にはミリ単位で建材を使いますが、物差しが変化すれば成立しません。しかし私たちの心の物差しはどうでしょう。心の状況次第で変化するのではないでしょうか。昨年、10万円の一律給付金がありましたが、同じ10万円でも仮にもし自分だけ10万円で他の人が20万円だった時と受け止め方が異なるのではないでしょうか。このように世間は心次第で物差しが変化する、自分の都合中心に物差しが仕上がっているのです。

 さて物差しの基準は、どう成立しているのでしょうか。それは原器と呼ばれる基準をもとに成立させています。先日、キログラム原器が更新されたというニュースがありました。変化しにくい性質に合金をしたキログラムの分銅から計算で導き出す方法に変わったというものでした。分銅と「はかり」で釣り合わせることで導き出していた1キログラムを計算で導き出せるようになったので、誰でも正しい基準を元にすることができるようになったそうです。ちなみに合金で作った分銅は変化しにくいとは言っても、表面が化学変化により質量の変化が起こるそうです。すなわち基準が変わってしまう危険性がありました。それも防げるようになったのです。完璧な基準が、今まで正しいと思っていた基準を打ち破るということを知らされました。

 「南無阿弥陀仏」を称えることを称名念仏と言いますが、この「称」には先ほどの「はかり」という意味があるそうです。阿弥陀如来のしてくださったこととそのまま私たちの称える「南無阿弥陀仏」は釣り合っているということであり、仏教の修行では簡単な位置に置かれる称名念仏に対してとてつもない功徳がそなわっているということを示しています。そして次のようにも受け止めていけます。真実の世界の物差しが届き、私たちの物差しが打ち破られる意味での「はかり」ではないでしょうか。全てのいのちを見抜き、優劣をつけることなく、平等に救う「我にまかせよ、必ず救う」というメッセージが「南無阿弥陀仏」です。自分の都合中心に生きることしかできないこの私に、あなたの物差しは危ないですよ、心次第でころころ変化しますよと真実の世界の物差しが私たちの物差しを打ち破ってくださります。そしてこのメッセージの対象は生きとし生けるものです。全てのいのちです。完璧な基準が誰にでも届いているのです。

 「南無阿弥陀仏」の中に、虚仮の世間を知らされるも、結局その中でしか生きることのできない私たちを決して放ってはおけないと決して見捨てんと立ちあがってくださり、はたらいてくださる如来さまのお心に出遇わせていただく今月のカレンダーのことばでした。



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