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  • 執筆者の写真信徳寺

カレンダーのことば 2022年1月

悲喜こもごもの新年 あけまして南無阿弥陀仏


 悲喜こもごもとは「悲しみ」と「喜び」が入り混じったということです。新年を迎える中に喜び一辺倒というわけにもいかないのが私たちのいのちです。いのちの現実を前に、必ず別れていかねばならない「悲しみ」とあなたに会えてよかったという「喜び」が入り混じる方もおられるのではないでしょうか。

 ディズニーの映画で「インサイド・ヘッド」(2015)というものがあります。11才のライリーという少女のお話で、ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、カナシミという5つの感情を擬人化したキャラクターが脳の中の指令所みたいなところで指令を出してライリーを動かしていくという設定です。ヨロコビは楽観的に楽しいことだけを求め、イカリは不愉快なことに対し感情を爆発させ、ムカムカは少し大人ぶって子ども扱いされることを嫌い、ビビリはおそれることで危険を回避し、カナシミはただただ悲観的に悲しみ涙を流す役目です。カナシミはただただ悲観的なので、全く指令室ではのけ者にされていました。

 ライリーはミネソタからサンフランシスコへと引越しをしましたが転校先に馴染めません。両親も仕事先でのトラブルなどでライリーを気遣う余裕もありませんでした。そんな中、ライリーは過去の思い出にとらわれ、家出をして元の街へ帰ろうとします。頭の中で、転校先でも無邪気に楽しくヨロコビだけが常に前に出ていればうまくいくはずだとヨロコビが主導権を握っていましたが思うようにならず、そんな中、ふとしたことから頭の指令室からヨロコビとカナシミが飛び出してしまい、戻れなくなってしまいました。そして他の三つの感情だけで指令を出しているのですがうまくいかず、結局イカリが爆発してしまって元の街へと帰ろうとしたのです。ヨロコビとカナシミは頭の中を二人で元の指令室に戻ろうと行動する中に、様々な記憶と触れ合いながら、カナシミの役割に気づいていきます。現実と向き合い受け入れず、ただただ楽観的に目を塞いでしまおうとしていたことに気づき、現実と向き合うことができるようになります。その中で、過去の両親や友だちと喜びを分かち合った大切な思い出が実は悲しみを出発にした思い出だということを思い出します。悲しみをみんなで共有し背負い合い、共に笑える喜べる存在に気づき、喜びの特別な思い出として大切にしていたのです。悲しみを悲しみをだけでない喜びも入り交じった思い出と受け止めていきました。そしてライリーはミネソタ行きのバスを飛び出し、心配している両親のもとへと帰ります。両親はライリーの思いに気づき、ライリーを全力で受け止め、このこともまた特別な思い出として一つ成長していくというお話でした。

 改めて思わされたことは、私たちの人生は悲喜こもごもあるから特別なものになっていくのではないでしょうか。感情あるが故に悲しみ、喜び、一喜一憂する私たちです。仏教では感情がなければ苦しみも覚えることはないと指摘します。確かにそうですが、そうはいかないのが私たちです。さまざまな感情が複合的に私たちを形成し、唯一無二の「私」が仕上がるのです。その「私」を否定することなくそのまま受け止め、その全てをわかってくださり、決して見捨てずに浄土の世界で情を超えた存在である「仏」とするのが阿弥陀如来で、その存在からの呼びかけ「阿弥陀にまかせてください、必ずあなたを救うから」というメッセージが「南無阿弥陀仏」です。あけまして「南無阿弥陀仏」は私のそのままを、悲しみも喜びも全て受け止め、悲喜こもごもの中にしか生きることのできないこの私を決して見捨てないお方がおることを改めて噛み締めつつ、今年一年心新たに生きていく年始のカレンダーのことばでした。



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