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  • 執筆者の写真信徳寺

カレンダーのことば 2022年11月

親鸞さまはご自身を語らず アミダさまを讃えられた


 11月28日は旧暦で親鸞聖人の御命日にあたります。そのこともあってこの時期に多くの場所で報恩講という行事がお勤まりになっています。報恩講は、ご恩に報いるつどいのことで、親鸞聖人のご遺徳を偲ぶ毎年行われるご法事のようなものになります。そこで今月のことばは親鸞聖人のことを偲ぶことのできるものになっています。親鸞聖人のことはご自身のことばではなく、お連れ合いの恵信尼様のおことばや曾孫の覚如上人のおことばから、どのような経歴でお過ごしになられたのかを伺うことができます。親鸞聖人の残されたおことばは、阿弥陀如来をお讃えするものばかりでありました。そのことを今月のカレンダーのことばは示しています。

 さて、このカレンダーのことばの背景には、浄土真宗の構造というものが伺えます。阿弥陀如来のお救いは、自らの功績に応じて与えられる論功行賞のような形ではなく、ただ阿弥陀如来から一方的にたまわるものだということです。だから「他力」ということばで表現されます。「他力といふは如来の本願力なり」と親鸞聖人はご自身の主著である顕浄土真実教行証文類(教行信証)に示されています。阿弥陀如来の生きとし生けるものみなもらさず救うという願い(本願)が今ここに活動しているはたらきとなった「南無阿弥陀仏」(我にまかせよ、必ず救うという阿弥陀如来のお呼び声)におまかせしていくあり方を示してくださいました。このことを「他力本願」ということばで先人方は大切にされてきました。この阿弥陀如来におまかせしていくあり方が、残念ながら今は「他人まかせ」の少し良くない表現として用いられていたりしますが、本来はこのことを表すのです。ですから、親鸞聖人は自らが何を成し遂げたのかということを徹底的に語らなかったお方です。全ての著作は阿弥陀如来という仏さまがいかなるお方なのか、そのお心をお示しくださったものになります。

 私たちはどこまでいっても自己中心的なものの見方しかできず、仏さまのような全ての他者を思う慈悲のお心の実践などできません。ころころと変わっていく自分の心の動きの中に、対象も条件も時間も限定されるような他者への思いを起こすことしかできない存在であることを恥ずかしいような申し訳ないような無力感を覚える私たちです。その私たちを目当てと立ちあがってくださったのが阿弥陀如来です。全てのいのちを救うとのお心に、むしろこの私一人のために立ちあがってくださったと受け止められたのが親鸞聖人です。そこで、ただひたすらに阿弥陀如来のお徳を讃えられたわけです。私に何の功績もなくただひたすらに阿弥陀如来のお救いにあずかるだけだというすがたを示しておられるのです。

 11月は信徳寺におきましても報恩講のお勤めをいたします。ともどもに親鸞聖人が讃えられた阿弥陀如来のお心を伺わせていただきましょう。










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