信徳寺
カレンダーのことば 2023年2月
更新日:2月15日
この口に 南無阿弥陀仏と出る不思議
今月のカレンダーのことばは、私たちが口にするお念仏の受け止め方を表しています。浄土真宗におけるお念仏は「称名念仏」と言い、仏様の御名を称えるものになります。この名という漢字は「夕」に「口」で構成されていますが、夕方暗い時に自らの存在を知らせんがために名を声に出したことを表しているそうです。また南無阿弥陀仏は「名号」と言い、「号」の字は「號」という旧字になり、虎が吠えるがごとく大きな声で呼ぶ意味があるそうです。ということは南無阿弥陀仏の名号ということは、阿弥陀如来の存在を知らしめて、大きく誰にでも届く声で呼んでくださっているという意味があると受け止められます。他の誰でもなくこの私に、あなたを救う阿弥陀がいるよ、どうぞまかせてよと声を届けてくださっているものになるのです。
さて仏教では口を用いる行いを口業と言いますが、仏教で私たちの行いの中でこれをしてはいけませんという十悪において口業は4種示されています。妄語(もうご)・綺語(きご)・悪口(あっく)・両舌(りょうぜつ)の4種になりますが、それぞれ「うそをつく」「言葉を飾る」「悪態をつく」「二枚舌を使う」になります。うそをついていないと思っていても、裏側にはうそをつかざるを得ない状況があります。例えば、私はむやみに命を奪っていませんと思う事はできます。確かに自ら他の命を奪う行為はしていません。でも間接的にはかなり命を奪っています。薬一つに多大な動物実験がありますし、いただく食べ物は大抵命あったものです。嘘をついていないと思っていても嘘をついている現状があるのです。また相手を気遣ってお世辞を言うこともありますし、自分の都合を邪魔されると悪態をついてみたり、自分の都合を守るためにいろんな言葉で人間関係を取り繕ったりするのが私たちの「口」です。
その口に私たちの行為の善悪を問わない超越した存在が現れるのが、この「南無阿弥陀仏と出る不思議」ということばに集約されています。どこまで行っても自分の都合で生きる私たちの口に、その私たちを放っておけない阿弥陀如来がご一緒なのです。名号ということばの構成にあなたを救う阿弥陀がいるよと私たちの都合を貫いて超越してこの身を包み込んでくださる存在を改めて感じる今月のカレンダーのことばでした。
住職 小西善憲
