信徳寺
信徳寺春季永代経法要
更新日:2020年7月1日
本日5月17日に春季永代経法要をお勤めいたしました。
永代経は先に往生された方をご縁とし、
永代にわたって阿弥陀様について示されたお経を大切にし、共に分かち合う法要です。
本来なればご縁ある近隣の住職方と共にお勤めし、
御講師をお招きし阿弥陀様のお心を共に聞かせていただく時間としたかったのですが、
昨今の新型コロナウイルス感染症の流行を考慮し、
例年とは異なる形でお勤めいたしました。
若院の調声のもと、仏説観無量寿経のお勤め、
そして蓮如上人のお手紙である御文章「疫癘章」の拝読でした。
当時、流行病が猛威を振るった際に示されたおことばです。
私たちがいのちを終えるのは生まれたからである。
病気は根本的な因ではなく縁である。
しかしそうはわかっていても眼前のことに心を奪われるのが私たちの性分である。
そのような私たちを見抜いて、阿弥陀様という仏様が全てをご用意くださっている。
私たちはそこにおまかせしていくだけですとお示しになられたお手紙でした。
そして本日の法話は、若院作成の文書をお配りさせていただきました。
仏説観無量寿経に出てくる「持是語(この語を持て)」のことばから、
釈尊が南無阿弥陀仏のお念仏をお勧めくださったお心を、
「最後に残るもの」として某芸人さんのコラムから伺いました。
売れた時、手にしたあらゆるもの。
自分の意地を通して失った様々なもの。
人間のそれぞれの思いの中に、
そのそれぞれの選択は仕方がないものとして受け止めざるを得ない。
しかし、そのように何もかも失った時に、
最後に残る自らを支える思いや願いに気づかされることがある。
そしてそれこそ本当に価値あるものとして気づく。
仏様方の思いや願いもそう受け止めていけるものとして味わいました。
浄土真宗の要は、大衆唱和とお聴聞にあります。
現状の中、精一杯の法要を執り行わさせていただいたことです。
