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  • 執筆者の写真信徳寺

2021年1月の掲示板

新たな年 新たな月 新たな日 新たな一瞬 かけがえのない「今」


今年も新たな年を迎えることができました。ということは新たな月を迎え、新たな日を迎え、新たな一瞬を迎えたわけです。この一瞬はもう二度とない一瞬で、実は常にこの一瞬の積み重ねが起き続けているわけです。新年をお祝いするところの意義は、このようにただ今の一瞬がかけがえのない「今」であると感じるところにあるのではないでしょうか。では「今」って一体どういうことでしょう。

通常時間は、過去・現在・未来という時間軸で考えます。その時間軸がある中に私たちが生きているという感覚を持っているかもしれません。しかし「私」ということで考えると少し違います。

「私」の過去は記憶がもたらします。記憶は本当に事実そのものかと問われるとそうではありません。「私」という映画監督が切り取った映画のようなものです。だから多少脚色されていて、自分専用の映画だから感傷的にもなりやすいものになります。嬉しくもなり悲しくもなり、状況に応じて受け止め方も変化したりするものです。それはこの映画を見ているのが「今」の自分だからです。

「私」の未来は想像がもたらします。人生の先に様々な情報を読み取り「私」という気象予報士が予報した天気予報のようなものです。情報が正確であればあるほど、想定の範囲内の未来があり、不確定な要素が入れば入るほど想定外の未来があり、常に新たな情報を仕入れながら予報は変化し続けていきます。これも「今」の自分が予報しているからなのです。

というように「私」を付けると実は「今」しかないのです。そしてその「今」は常に生と死の紙一重のいのちを生きています。一枚の紙の表裏のように切っても切り離せない生と死の中にあるのがいのちです。そうなると「私」の「今」が不安定な中にあると感じられます。

その「今」に届いているのが南無阿弥陀仏です。阿弥陀さまのおはたらきである南無阿弥陀仏は、「あなたを必ず浄土に生まれさせ、苦悩から解放されたほとけに仕上げて救うからまかせてくださいよ」とのメッセージです。不安定な「今」に届いている安心です。その安心を賜る中に精一杯このいのちを生きていきます。かけがえのない「今」に届くほとけさまのあたたかいお心に触れながら、「私」を通せば不安ばかりの「今」を生きて行くのです。



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