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  • 執筆者の写真信徳寺

2021年5月の掲示板

気がつけば 新緑の季節だ


 5月を迎えました。新年度を迎え一ヶ月が経ち、新生活に慣れた人もいれば、順応するために気が休まらず緊張や疲れがピークになったいわゆる「五月病」的な思いを持っておられる方もいるのではないでしょうか。今年はコロナ禍の現状もあり、余計にストレスがかかり、そのような状況に拍車がかかっているような気がします。

 さて、仏教のことばで、「諸法無我」というものがあります。全てのものは変化するもので、固定化した実体はないということです。そこに「在る」ものは変化の中でたまたま仕上がっているだけで「在る」わけではないということです。私という存在は様々な関係性によってここに仕上がっただけということです。それを私として確立させていく中に思い通りにならない「苦」というものが現れます。老いや病や様々な人間関係など私を脅かすものです。「諸法無我」だから固定化できないはずの私を確立させるための軋轢が「苦」であると考えます。

 安田理深という明治期から昭和期に生きられた真宗大谷派の先生がおられます。ある時、隣の家が火事を起こし、それによって自宅を全焼したことがありました。長年、学びを深めるべく集めた蔵書なども全て燃えてしまい、門下生たちは先生がさぞご落胆されているだろうと集まった前でこうおっしゃったそうです。

「焼かれたのでもない。焼いたのでもない。ただ焼けたと。そうすると事実を事実のまま

 受けていけるのではないか。自も他も損なわんで済む。こんなことを今度の火事で

 学びました。」

火をもらって焼かれたのでもなく、火を出して焼いたのでもない。ただ焼けたという事実があるだけで、そのように受け止めていくと自分も他人も傷つけずに済むと感じて心が落ち着いたのだというエピソードです。そこに「我」を挟まずにありのままの事実を受け止められた時に、「我」が「苦」の原因であることを学んだということです。

 しかし私たちは「我」というもの、「私が」という視点を捨て去ることは難しいです。先のエピソードも「どうしてこんな目に…」と思ってしまうであろう自分がいます。どこまでも自己中心的なものの見方を捨て去ることはできません。だからこそ、「諸法無我」のように自分の苦しみの原因を知ることは大切です。知っているとうまく付き合っていけるような、そんな気がいたします。

 気がつけば新緑の季節になりました。そのありのままの事実を受け止めていく、また気づいていく中に、拡がる世界に出遇っていく、これが仏教の大切なところです。



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