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  • 執筆者の写真信徳寺

2021年6月の掲示板



あなたなしでは 難しいの(BiSH『DiSTANCE』より)



 最近、気になった歌詞がありましたので、今月はそのことばを紹介したいと思います。それはBiSHというアイドルグループの『DiSTANCE』という歌の歌詞です。この上記の歌詞ですが、「あなたなしではだめなの」「悲しいの」「苦しいの」ではなく「難しいの」というところに思うところがありました。あなた無しで一人で生きていくことはできるけれども、その選択は難しいという感情が、とても大切なバランス感覚を持ったことのように思うのです。仏教ではものに執われる「執着」が苦しみの原因であるとします。「難しいの」という言葉には人間の持っている「執着」という性質とうまく付き合っていける方向性を感じます。例えば、宗教というものに執着を持って狂信的になると自是他否、すなわち自らが正しくて他は間違っていて排するということになります。もしかするとこれは一般的な宗教に対するイメージなのかもしれません。本当はそうではなくて「私にとって」の心における事実が宗教の経験であり、他に強制するものではありません。だから私にとっての宗教的事実は私だけのもので、そこは何人たりとも侵すことはできないという「信仰の自由」という概念があるのです。そこにはあくまで「私が生きていく」ことがベースにあるのです。

 だから私は宗教や仏教、浄土真宗というものが無くても生きていけると思います。しかし、それはとても難しいことだと感じています。

 以前コロナ禍における仏教者のあり方についての講義を受けたときに、「聞法は心のワクチン」という言葉を紹介していただいたことがあります。元々はある布教使の先生のご講題だそうです。私たちは必ず終えていかねばならないいのちを生きています。そしていつ何時その事実が現れるかわかりません。そんな死という事実を前にして、無防備にその時を迎えていかねばならないのかということに対して、仏法を聞くということはまるでワクチンのように「死」という問題と共存していけるのだと教えてくださいました。浄土真宗は阿弥陀如来が私たちのいのちの有り様を見抜いて、このいのち尽きた時阿弥陀如来の世界である浄土に生まれさせ、苦悩から解放された仏に仕上げるという阿弥陀如来のはたらきをそのまま受け止めていく教えです。ですから、医学のように病の克服や死を遠ざけることはできません。しかし、私たちが必ず迎えなければならない「死」そのものの意味を「生」に変え、苦悩からの解放を生まれた後に完成していくはたらきです。そこに死という事実は変わらないけれど、意味は変わることでその事実とともに生きていくことができるということが恵まれます。これがワクチンに例えられたベネフィット(効果)でありましょう。

 宗教は無くても生きていけるのかもしれません。でも無しでは難しい、そのように捉えていただいたらと思います。私にとっては死という事実の前にこの教えがなかったら、阿弥陀如来がいなかったら難しい。「阿弥陀なしでは難しいの」、そう思うのです。




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