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  • 執筆者の写真信徳寺

2022年7月の掲示板

不協和音が 和されていく ~「宮商和して自然なり」~


 今月のことばは浄土真宗の宗祖である親鸞聖人のおことばより伺いました。親鸞聖人は阿弥陀如来を讃えた和讃というほめうたをおつくりになられました。その内、阿弥陀如来の世界であるお浄土を讃えられたもののなかに

清風宝樹(しょうふうほうじゅ)をふくときは 

いつつの音声(おんじょう)いだしつつ 

宮商和(きゅうしょうわ)して自然(じねん)なり 

清浄薫(しょうじょうくん)を礼(らい)すべし

というものがあります。お浄土を吹く風が樹々を揺らしたりしながら奏でる音楽は、さまざまな音を奏でます。そのうち、宮商というのは五音という東洋における音階(宮・商・角・徴・羽)のうちの宮と商になります。理論上、宮と商の関係は音幅が一音になりますので、不協和音になります。けれど、その不協和音がそのような概念を超えて調和されていく世界がお浄土にあり、その清らかな世界を尊く受け止めていくという意味になります。

 さて、不協和音が調和されていく音というのはどういうものでしょうか。雅楽に用いる楽器の中に、鳳笙(笙)というものがあります。17本の竹に穴が空いていて、その穴を押さえ息を吸っても吐いても音が奏でられる楽器です。演奏の中では主に6本の竹を押さえ、合竹(あいたけ)と呼ばれる和音を奏でていきます。その合竹の中で常に鳴らしている音があります。それは「行」と「七」の竹で、それぞれ洋音階でいうところのハ長調のラとシの音になります。ラとシは間の音幅が一音しかありません。すなわち不協和音となるのです。しかし、笙の合竹は調和しているように聞こえてきます。理論上考えられるのは、「行」と「七」以外に押さえて竹がそれぞれと協和音の関係になるものとなり、全体的に和された音が聞こえてくるということです。小さく見れば不協和音でも、全体で見れば調和された音になっていくような音が笙の合竹です。このことは私たちの日常にも言えることではないでしょうか。

 生きている限り、人間関係の合う合わないはあります。仏教において私たちのどうすることもできない苦しみである四苦八苦の一つに「怨憎会苦(おんぞうえく)」、すなわち会いたくない人にも会わねばならない苦悩というものがあります。当人通しでは不協和音となるようなものであっても第3者が入ることにより、不協和音のまま調和されていく関係があるのかもしれません。またこの第3者に人ではなくほとけさまの存在を見て行ってもいいのかもしれません。  

 どちらにせよ、視野が狭くなり小さな視点での不協和音から、その不協和音はそのままで調和されていく世界があるということに気づかせていただく今月の掲示板のことばです。




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