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  • 執筆者の写真信徳寺

2022年8月の掲示板

物を申せば 心底も聞こえる


 暑さのあまり口を開くことも億劫になってしまいそうな毎日です。しかし、ご挨拶をする中で、「今日も暑いですね」「そうですね」のやり取りだけでも、なぜか心が通じ合うような気がします。お互い本当に感じていることを共有していく作業は、心を通じ合わせます。そしてこの時期の暑さによって、お互い心の底から出てることばとして「今日も暑いですね」ということばになっている気がします。だからこのやり取りに心のやり取りというものを感じるのです。

 本願寺の第8代蓮如上人の言行録に『蓮如上人御一代記聞書』というものがあります。その中に

蓮如上人仰せられ候ふ。物をいへいへと仰せられ候ふ。

物を申さぬものはおそろしきと仰せられ候ふ。

信不信ともに、ただ物をいへと仰せられ候ふ。

物を申せば心底もきこえ、また人にも直さるるなり。ただ物を申せと仰せられ候ふ。

というものがあります。これは物を言う方がいいということをおっしゃっています。物を言うことで自分の考えを整理することもできるし、他の人に指摘されるところもあるだろうし、その中で心の底が伝わることもある。だから物を言いましょうよとおっしゃっておられるのです。

 一方、以心伝心ということばがあります。ことばを用いずとも意思疎通できる関係性を示したことばですが、ある意味関係性の理想としてあるような気がします。しかし、実際、そういうことが可能なのでしょうか。お互い自分の都合で生きているのが人間です。自分と全く同じ都合で生きている人間はいません。個々の経験の蓄積によって生み出されるのが個々の都合ですから、絶対に異なってきます。ということは、関係性の経験の蓄積により、お互いのすり合わせから以心伝心の関係性が生まれるのです。全く最初から、そうなるのではありませんし、場面や状況が変われば、関係性の経験の蓄積が初期化され再びことばを必要とする関係になりうるのです。

 そう考えると、物を言うことの大切さ、ことばにすることの大切さをを感じるのです。仏さまならば、言わずともわかる力がありますが、私たちは人間です。言わなければわかりません。そしてそこから心のやりとりが生まれます。この3年間、コロナ禍になりコミュニケーションの形が変化しましたが、その中で「物を言う」「ことばにする」ことの大切さを改めて感じます。

 「今日も暑いね」「そうですね」の一言だけでも、嬉しくなりませんか、自分のことをわかってくれている気がして。








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