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  • 執筆者の写真信徳寺

2022年2月の掲示板

私の恵方は 西方です


 恵方はその年の最も「いい」方角を十干十二支の組み合わせから導き出すのだそうです。皆さんにとって「いいこと」があれば嬉しく存じます。さて、そこで考えてみたいのは、「いいこと」というのは一体どういうことなのでしょうか。

 私たちはどこまで行っても自分の領域の中で生きています。全てを自分というフィルターを通して判断し、自分の言葉で表現をします。自分の中にない領域以外のことはできません。そういう考えに立つと自分のとっての「いいこと」は、他者にとっての「いいこと」であるとは限らないことに気づきます。例えば、必勝祈願は誰かの必敗祈願であるわけです。ということは、あくまで「いいこと」とは「私にとって」という枕詞のつくものになるのが、人間の仕方がないことなのかもしれません。どこまでいっても自分の都合を中心にしか生きることのできない私たちの悲しい生き方であります。だから「私にとって」を「皆にとって」という枕詞にできる世界を大切にしたいと思うのです。

 そこで「西方」です。「西方」にはどういういわれがあるのかと言いますと、阿弥陀如来の世界である浄土がある方角になります。なぜ「西方」なのかと言いますと一つに阿弥陀如来のおすがたを太陽の様と受け止める日想観というものがあります。その中で西に浄土があると受け止められていったわけです。そして方向が分からなければ、私たちは心の矢印を向けにくいので、「西方」とされたとも言われています。また「西」自体にもこんな受け止め方があります。例えば「西」という漢字には太陽が沈む夕刻に鳥が巣に帰る様を示した意味があるのだそうです。ですから、この「西方」にすべてのいのちの帰りゆくところとして浄土と重ね合わせた受け止め方を先人たちはされてきました。すべてのいのちを等しく、何の条件もつけず、見返りも求めず受け止めてくださる存在が阿弥陀如来で、その世界が浄土です。

 「西方」には「皆にとって」という枕詞を付けられます。だから「私の恵方は西方です」と今月のことばにさせていただきました。成功しようが失敗しようがあなたのそのままをという受け止めに何にもかなうものはないです。そのお心の中に生きる力をたまわることです。

住職 小西善憲



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