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  • 執筆者の写真信徳寺

2023年2月の掲示板

更新日:2月15日

かがみのなかに 鬼がいる


 節分になると「鬼は外福は内」の声とともに豆まきを行う風習があります。災いを起こす邪気を祓い、幸せを呼び込みたいという思いからのものになります。人としてこのように思うことは当然のことだと思います。そこで改めて考えてみたいのは「鬼」とか「福」って一体なんだろうかということです。

 まず「鬼」は仏教における煩悩(自己中心性)として例えられます。鬼には赤・青・黄・緑・黒の種類がいて、その色の成り立ちにおいて心の落ち着きを邪魔するものとしてそれぞれに成立したようです。それぞれに、赤は欲が止められないむさぼりの心、青は自分の都合を邪魔されたら沸き起こる怒りの心、黄は感情が昂り頭に血が昇った心、緑は他を顧みずにだらける心、黒は自分の都合でしか物事を判断できない心を表しているのだそうです。

そうすると、この「鬼」は他ならぬ私のことではなかろうかと感じてくるのです。私はどこまでいっても自分の都合の上でしか生きてはいません。時には自分の都合にブレーキが効かなかったり、邪魔されて腹を立ててみたり、感情が昂り平静でなかったり、自分のことしか考えずだらけてみたり、全ての物事を自分の都合で見ていったりしています。そう受け止めるならば、「鬼」とは鏡の中にいる私であるのです。

 また「福」とは幸せのことです。「鬼」の私が思う幸せってどこまでも自分の都合の良い幸せなのかもしれません。そのことがいけないという話ではなく、自分にとっての本当の幸せってなんだろうかということを見つめ直すいい機会だと思うのです。

 どこまでも「鬼」の性質を持った私が鏡の中にいて、その私が求める「福」ってなんだろう。この問いがとても大切なのだと感じるのです。

住職 小西善憲


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