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  • 執筆者の写真信徳寺

カレンダーのことば 2022年12月

更新日:2023年2月15日

「私が悪かった」 言うとなると難しい

 年末になりますと一年の振り返りをするようなことがあります。その中でこのカレンダーのことばのような場面を思い出すことがあるかもしれません。というのも、私たちはどこまで行っても自分中心の都合で生きていくことしかできないわけですから、人間関係の中で相手のことを理解できず自分の都合を押し付けてしまい、齟齬が生まれてしまうことがあるのではないでしょうか。その原因は、私たちの自己中心性である煩悩にあります。

 浄土真宗の篤信のご門徒で、浅原才市(1850-1932)という方がいらっしゃいます。島根県の温泉津に生まれ、下駄職人を営む中に下駄を削るカンナ屑に浄土真宗に生きる受け止めを詩として書き連ねたお方です。ある時、ご自身の肖像画を地元の著名な画家に書いていただくことになりました。その際、なかなか素晴らしい出来で当人をそのまま映したような絵が仕上がったそうですが、当人は納得しなかったそうです。なぜかと言いますと、「角が生えていない」ということに納得いかなかったのです。自分はお寺参りを続ける中でお話を聞くうちに、どこまで行っても自分のことしか考えられない鬼のような存在であると受け止めていて、そのことが反映されていないことに納得がいきませんでした。ですので、最後に角を書き足してもらって、肖像画が完成するのです。現在ではその肖像画をもとにした像が立っているそうです。まさしく自分の都合で相手を傷つけかねない私たちのあり方を教えてくださったエピソードです。

 私たちはどこまで行っても自分中心の、自分の都合で生きています。相手のことを思おうとも、自分なりに相手のことを思っているだけで、完璧なことはできないのです。だからこそ必要なことがあります。それはお互いの声を聞き合うということです。相手の声を聞き、自分の声を出し、お互い歩み寄ることで少しでも自分の都合と相手の都合を擦り合わせ、声を聞き合うことが大切です。そのことに留意しつつ、私のすがたを反省し気付かされるのが今月のカレンダーのことばではないでしょうか。

住職 小西善憲



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